経典もマニュアル?~伝言ゲームにならないために…~
経典とは?
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などをみてわかるように「神の教え」は絶対であり、その教えや信仰の規範が一言一句違わずに文書としてまとめられています。キリスト教の聖書、イスラム教のコーランなど、これらが経典と呼ばれているものです。
当然なことではありますが「経典」は、信者や信徒によって「絶対的なもの」として受け継がれていきます。
仏教における経典
仏教は、お釈迦さまが説いた教えを基本とするものです。そのため仏教においては、お釈迦さまが説いた言葉が絶対の権威をもつものであります。
お釈迦さまが亡くなられた後、その教えは弟子たちによって口から口へと口伝で伝承されました。しかしながら語り伝える間には記憶の誤りも生じ、次第に教えの内容も変わってしまう弊害も生じました。われわれがゲームとして遊ぶ「伝言ゲーム」と同じ結果になってしまったのです。
そこで弟子たちが集まってお釈迦さまの教えを整理しようと言うことになりました。この集会は「結集(けつじゅう)」と呼ばれているそうです。
この集会においては魔訶迦葉(まかかしょう)が中心となり、経(釈迦の教えをまとめたもの)は記憶力が抜群によいと言われた阿難陀(あなんだ)によって語られました。また律(仏教徒の行動規範)は持律第一と言われた優波離(うばり)が記憶にしたがって語るのを、大勢の弟子たちが聞いた内容と照合してまとめ上げたと伝えられています。
宗教とマニュアル
われわれが比較的触れる機会が多い「般若心経」は、膨大な「般若経」600巻のエッセンスをまとめたもので、字数にしてわずか262文字の短い経典です。しかしその中身は、深遠な仏教の思想と広大な慈悲の営みである宗教的行動を簡潔に説いています。
このように宗教と経典は、切っても切れないものになっています。神や仏の教えを末代まで正確に伝える経典は、まさに「マニュアル」そのものと言えます。
業務や行動をルール通りに実践し、またその内容を正確に承継するための業務マニュアルなどと同じ役割を果たしています。
マニュアルとは呼ばないけれど、現代のわれわれが日常活用しているマニュアル以上の機能を果たしているものが古くからあることに驚きを禁じ得ません。