近代社会におけるマニュアル

近代社会におけるマニュアル

マニュアル(manual)の語源はラテン語のmanus(手)から生まれたものですが、名詞では「手引書」であり、形容詞なら「手の」「手動の」という意味を持ちます。
マニュアルの生い立ちは19世紀後半、米国の生産会社において「仕事を標準化すること」「生産性を上げること」を目的に生まれたと言われています。
しかしながらそれ以前にも、ヨーロッパ特にドイツにおいてマニュアル文化普及のきざしが生まれつつあることが記されています。

19世紀ヨーロッパにおけるマニュアル事情

現代社会はマニュアルで溢れていると言われていますが、1850年代にはすでに「家庭医学書」がドイツで発刊されました。
1450年、ドイツの金細工師ヨハネス・グーテンベルグが活字の開発と活版印刷を発明しましたが、聖書など大量に利用されるものには大いに効果を発揮しました。また家庭生活における指南書的なものも普及しはじめました。

家庭医学書

200年ほど前、ドイツにおいてオメオパシー治療マニュアルの存在があります。
医師の不足していた時代に自己治療に頼らざるえない状況からこのようなマニュアルが普及しました。
この医学書はオメオパシー治療について、その用法を解説したものです。
オメオパシー治療(homeopathy)とは、『homeo=同じ』と『pathy=病気』という2つの言葉が結びついたものですが、同種療法の一つです。ワクチン療法のように類似の病原体で治療する療法を指します。 
このマニュアルには、適応症状の概念、疾患対処法、投薬方法などが記されていて、治療薬の表示はラテン語が多かったことから無教養な人は理解ができないものです。それでも16版まで重版されたとのことですから需要は多かったのでしょう。
しかし1950年代になると抗生物質が普及したことから、オメオパシー治療は衰退しました。
この時代以降、生活に密着したマニュアルがとても重宝されるようになりました。
なお、近世日本における医療マニュアルが出回ったのは、18世紀半ばの江戸時代中期で天然痘が流行った頃といわれています。丁度、木版印刷が普及した時代です。

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戦時下のマニュアル

第一次世界大戦(1914年~1918年)以降、戦時下では各種のマニュアル類が政府から出されました。入隊前に見るマニュアルや日常生活を指導する家事マニュアル、医療マニュアル、そしてなんと隣組マニュアルなどが存在しました。戦時下のドイツでは隣組マニュアルがベストセラーになったとも言われています。
この種のマニュアルは、目的達成のための実践的な知識や技術を伝えることに重きがおかれたとはいうものの、政府発行のマニュアルは、国民の行動、日常生活、思想などを政府が考える通りに統制する目的のものです。このようなマニュアルは二度と目にしたくはありません。

現代はマニュアルの時代

情報化社会とグローバル化の進展が著しい今日、高度な専門知識や能力を有する専門職の活躍が一層求められています。
新しいテクノロジーを使いこなすためにも知識の習得や能力を高めることが欠かせません。
そのためのマニュアルの役割は極めて重要となります。
われわれの周りには、マニュアル・教本・手順書・解説書・指導書など多くの物が存在しています。「現代社会にはマニュアルがあふれている」と言われますが、利用者の真のニーズに応えたマニュアルはそう多くはないのではないでしょうか。
日本社会では「マニュアル人間」とか「マニュアル通りにしか対応しない」など、マニュアルの評価が極めて低いのが現状です。それはある意味で、組織や国家の規定にしたがってのみ行動対処することが求められるマニュアル・コンテンツが多く存在するからだと考えられます。
便利さや楽しさを感じるマニュアルが必要であり、息苦しさを強要するようなマニュアルはわれわれの時代には不要です。

参考文献:「マニュアル」の社会史 -身体・環境・技術-(服部 伸・編 / 人文書院)

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